まず考えたのは、霧島はとにかく自然が美しい、その自然の美しさを生かそうということです。しかも自然の美しさといっても、さっき言ったように、箱根の彫刻の森とは異なり、はるかに遠くまで見晴らすような雄大な大自然です。ただ、もちろん自然の美しさを発見するだけであれば、何も彫刻など設置する必要はないわけです。彫刻の助けを借りなくても自然の美しさは発見できるわけですが、われわれとしては彫刻があることによって、その彫刻との関係の中で自然の美しさを発見したり、あるいは大自然の中に置かれることによって、彫刻の中から思わぬ魅力を発見したりするというのが理想だったのです。しかし自然の中に彫刻を介在させるということは、都市とはまた違った彫刻公害を生み出しかねません。だから、彫刻と自然環境とがどのようにお互いに生かし合うか、あるいは共生していくかということが非常に重要なわれわれの狙いでありました。
それを目指してこの彫刻公園を学芸の方々と相談しながら徐々に造り上げていったわけです。口で言うのは簡単です。実際にそれが成功したかどうかというのは、われわれが言うよりも、皆さんがここで歩き回ったり、のんびり寝転んだりして、実際に狙い通りいっているかどうか確認していただくしかありません。われわれは「うまくいってると思う」と言うしかありません。皆さんに判断を押し付けるわけにはいきません。
簡単に言えばそういう前提があって、この彫刻公園の構想が徐々に徐々にできあがっていったわけですけれども、ただ、自然を生かすといっても、やはり自然というのは非常に凶暴ですから、そんなに生やさしいことではありません。だから難しいのです。ここでも、雄大な自然をそのまま生かすとは言ったけれども、実は思わぬいろいろな条件が出てきたのです。 |
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例えば自然を開発するとします。木立を払ったり、土地を整地したりしなくてはいけない。そうすると、台風などが来たときに鉄砲水が下に流れたら困りますから、調整池を造る必要が出てきます。実は、この美術館園庭中央の芝生の部分は緩やかにくぼんでいますが、あれは当初はくぼんでいませんでした。あそこは、ふだん皆さんがご覧になっているときは水が全部はけてしまっていますが、大雨が降ったときにはくぼんだところに水がたまる調整池なのです。そのように地形を変化させ、凶暴な自然をなだめるために、いろいろな工夫も必要なのです。ただ単に自然を愛でてその中に彫刻を置けばいいというわけではなくて、いろいろな難しい条件が発生してくるのです。
だから、ある意味では、自然を生かすと言いながら自然を制御する必要も出てきます。そこに人間の手が入るわけです。手が入りながら、なおかつそれが不自然でないようにとか、これはもちろん、われわれの仕事だけではなくて、県の造園や植栽などのいろいろな専門家の方たちの助けを借りなくてはいけませんでした。いろいろな人の協力があって、自然にいろいろ手を加えながら、何とかそれが違和感のないような公園としてできあがってきたわけです。
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では、その発想の基になったストームキング・アートセンターという場所を、スライドを使いながらこれからご説明したいと思います。
ストームキングは先程申し上げたように200ヘクタール、この彫刻公園の20倍近い広さをもっています。中にいろいろな道が走っており、電気自動車に乗って1時間ほどぐるっと全体を回り、およその見当を付けてから歩き回ります。全部見ようとすると、とても1日では見切れないのです。面積は違うとしても、自然の雄大さというのは霧島とよく似ています。しかも、自然の雄大さが将来壊れてしまわないように、この彫刻公園を運営しているファンデーションが、更にその外側にある広大な山全体を買ってしまっているのです。その山自体は彫刻公園ではありませんが、借景みたいな役割を果たしており、将来にわたって眺めが変わらないだろうというほどの雄大な計画なのです。
ただ、スケールの違いはあっても、その基本構想は霧島と大変似ています。非常にゆったりした芝生の広場と起伏のある斜面と、霧島では「樹林ゾーン」と呼んでいるのと同じような林間の中の道があります。それから、霧島もそうですけれども、一部に屋内作品のための美術館も設けられています。ストームキングをそのままスケールダウンすると霧島になるかと思われる、非常によく似た構想であって、今回行ってみて改めて再確認しました。
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