“水玉の楽園” 草間彌生 展

草間彌生スライドトーク
 
date
【終了】 2002年10月6日(日) 13:00〜14:00
at
霧島アートの森 多目的スペース
guest
草間 彌生
2002年10月6日(日)草間 彌生氏を迎えたスライドトークが開かれました。
当日の観客数は978人、雨天ながら予想以上の観客数で急遽会場外にスピーカを増設した形での開催となりました。
作品や出来事を年代ごとに追う形で進行し、スライドやムービーを使いながら、草間さんご自身から説明をいただきました。
未発表作品から著名人の意外なエピソードも盛り込まれた貴重な時間をレポートします。
レポートの見方
左側はモニターに写されていたスライド、右側はトーク内容で、登場人物は写真下、左から草間スタジオ・高倉 功 氏(高:)、草間 彌生 氏(草:)、MOMAコンテンポラリー・中村 光信 氏(中:)という表示になっています。
スライド画像はクリックで拡大版を表示します。閉じる際は表示画像をクリックしてください。
閲覧に関するご注意
本レポートで使用している写真等の著作権は草間彌生スタジオ及びモマ・コンテンポラリーに帰属します。
二次使用・配布等は固くお断りいたします。
監修:草間彌生スタジオ/モマ・コンテンポラリー
 
スライド
年代
トーク
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草: こんにちは。
皆さん、本日はよくいらっしゃいました。
私はこんなに大勢の方が雨の日に集まっていただき、大変感動いたしております。
九州の皆様にお目にかかれることを楽しみにしておりましたけれども、今日、お目にかかれて、本当に来たんだなという気持ちがいたします。本当にありがとうございました。
 

会場:拍手
 
草: これから、私が今まで歩いてきた生涯について、ご説明申し上げますので、それでよろしいでしょうか。
 

会場:拍手
 
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2002
中: この前、オープニングをやられたわけですが、今日こられた方々は『こぶしの木プロジェクト』を見られてない方もいらっしゃいますので、まずはこのスライドから見てみましょう。
中: このパフォーマンスは、前日にやろうということになったんですよね。
草: はい。1週間ほど前に、布を買ってきて、こんなに綺麗な長い尻尾を作ったんです。
中: この時、すごく報道陣の方がいらしていて結構大変でしたよね。
これ
はNHKの方々ですよね。
草: はい。
中: ここから出発してオープニング・レセプションの玄関まで行くわけですが...。
 

会場:歓声
 
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草: 40mあります。
 

会場:歓声
 
中: これは観客の方々は、パフォーマンスをやることは全然知られてなかったので、皆さん非常に驚かれましたよね。
草: はい。
これは、私も後で見て、とても綺麗だと思いました。
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1939
草: これは私が10歳の時の写真ですけど、ダリアの花が1・2・3・4・・・そして私の顔で5つです。
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1939
草: これは私の家族の肖像ですけど、私の右が母です。
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1939
草: これは母の肖像画ですけど、私が10歳の時に描きました。
中: 5年生の頃のデッサンですね。
草: ええ、5年生の時のデッサンなんですけど、既にもう全体的にポチポチが浮かんでいるんです。
中: 実際にお母さんの顔がそう見えたんですよね。
草: はい、そうです。
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1939
草: これが、その裏に描いた花瓶とお花です。
花瓶の模様が壁から天井に這い上がって、私を恐怖に陥れました。
中: 既にパターンの原型がありますね。
10歳の時から既に点とネットが見えていたというわけですね。
草: それが出発点で、今日の草間彌生があるわけです。
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1950
草: これは、植物の残骸です。
ねじれて、そして消滅する手前の段階のところを描いたわけです。
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1955
中: これは、『風神』ですね。
草: はい。『風神』です。これは油絵で、描いたのは1955年です。
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草: アメリカに行く寸前、東京のスタジオで撮った写真です。
  4000枚あったものを2000枚焼いて、後の2000枚をアメリカに持っていったんです。
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1952
草: 私の第1回目の公民館*での展覧会で、2回続けて併せて260点ぐらいの(作品で)大展覧会をやりました。私はニューヨークに行って、もっといい作品を作ると言って、出発する前に石油をかけて焼き捨てたんです。
   
* 1952年 松本市第一公民館(長野)での展覧会。
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1947
草: 私が18歳の時の肖像で、母が染色が好きだったので、染色屋に行って、網の目を書いて、それを洋服に仕立てたんです。
中: ご自身でデザインされたのですか?
草: はい、そうです。
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中: これも渡米前ですね。
草: ええ、この洋服は片方が赤で片方が白で、こういう洋服を着ていた人は当時いませんでしたね。
バックに(背後に)ある絵はみんな焼き捨てたんです。
一大決心をしてアメリカに渡ったんです。
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1951
草: 1951-52年の水玉の作品です。
中: 一番初期の、水玉だけで構成された作品ですね。
草: はい、そうです。
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1952
中: 1952年の、これも初めてのネットですね。
草: そうです。
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1952
中: これは『叫ぶ少女』という作品ですね。
草: ええ、叫ぶ少女は私自身です。
「もっと自由になりたい」と、人生に向かって叫んでいます。
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1952
中: 1952年、松本時代*のドローイングですね。
   
* 松本時代=草間の出身地である長野県松本市で過ごした時代 
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1952
松本時代*のドローイング
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1952
草: これは松本時代の、出発する時の写真で、これを持ってアメリカに行きました。
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