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展示計画は、2004年11月8日から12月13日にかけて武蔵野美術大学美術資料図書館に於いて行われた「衣服の領域〜概念としての衣服」展をベースに、小池一子氏のキュレーションによってアートの森の展示空間に合わせた再構成を行う形で進められた。出品作家11名がすべてが現存作家であり、準備にあたっては株式会社キチンを通して壁面や天井などの仕様、照明など設備面の細部にわたって再三の打ち合わせが行われた。展示当日には作家3名(マチュー・マンシュ、眞田岳彦、立花文穂)が直接それぞれの作品の展示にあたり、他の作品も作家自身から細かな指示を受けた専門スタッフが作業を行った。特に三宅一生は武蔵野美術大学の展示方法を全く白紙に戻し、布から服への制作過程と、それを人が身につけることによって作品が完成する流れを連想させる展示を行い、大きな話題を呼んだ。また、ヨルク・ガイスマールとマリアンジュ・ギュミノは展覧会のオープニングに合わせてパフオーマンスを行い、作品のコンセプトをより印象深いものとして訴えると同時に、会場に花を添える形となった。 |
アーティスト・トーク光景
(左:立花文穂氏 / 右:小池一子氏)
ワークショップ(子供の創作活動) |
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「衣服」がなぜ必要か、即座に返ってくる答えは「寒さなどの外的環境から体を守るため」「身体を露呈する羞恥心から逃れるため」「身体を飾り自己を主張するため」などがあげられるだろう。そのような目的から「衣服」は体の形体をなぞるものであり、生活の必要条件として存在するものであった。しかし、経済行為としての生産や流通が成熟、肥大化した現代において、膨大な情報量によって欲望は促進され消費は過剰なものとなっていることは「衣服」をとりまく状況においても例外ではない。そのような中、意識の高いデザイナーは現在の状況とどう取り組み、変革できるものかという問題を通して、社会や世界を洞察させる創造的な活動を行おうとしている。また、多様な切り口から表現の幅を広げ続けるコンテンポラリー・アートの世界においてもアーテイストの世界観によって時代を象徴するエレメントの一つであるフアッションがアートの主題になることも多い。そういった場面でどれがファッションで、どれがアートかという区分けにこだわることはもはや陳腐である。それを決めるのは観る人であり、「衣服」が置かれる場や文脈によって異なるものとなる。そのような背景をふまえ、本展では「衣服」の領域にアーテイストとフアッションデザイナーがそれぞれのベクトルを越境し、改めて「衣服」のおかれる創造的な空間を展観するものであった。
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マリ=アンジュ・ギュミノによるパフオーマンス(左下同)
武蔵野美術大学生によるパフォーマンス(右)
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寄せられたアンケートによる感想はおおむね好評であったが、普段の生活の身近にある「衣服」や「フアッション」という言葉から連想する狭いイメージから「やや難解である」などというものも中にはあった。また、作品そのものとその周りをとりまく空間を含めて鑑賞する展示形体は「作品数がやや少ない」という印象につながったかのように感じる内容のものもあった。一方、ギャラリートーク等を通しての直接伺う感想は、これまでの概念をくつがえす展示内容として感嘆の声が数多くあった。また、鹿児島大学総合研究博物館によるワークショップ「あれもつかえる・これもつかえるー身体をつつむかたちー」では子供たちが身のまわりにあるものを身にまとうことで、衣服の持つ意味や素材について考える場が創出された。会期後半の立花文穂氏と小池一子氏によるアーテイスト・トークには遠く県外からわざわざ参加された方々もおり、作家とキュレーターの立場から直接作品やそれをとりまく現況について聞く貴重な機会となった。加えて会期中にTV・新聞などのメデイアがタイミング良く、より身近に感じる雰囲気で情報を提供したことも大きかった。そのような中、それぞれの作家が「衣服」にこめた様々な思いは本展覧会を通じて多くの人々の心理のひだに浸透し、想像をかき立てる機会になったものと考えている。(了) |
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